役に立つかもしれない旅行の記録

実際に訪れて見たこと・感じたことを淡々と残すブログです。 更新は不定期です。

対馬 個人旅行の記録(2021年10月) ②金田城跡へ行く

旅行2日目は金田城跡を訪れる。朝食後、この旅行中の相棒であるママチャリに乗って向かった。

金田城

基本情報

7世紀、日本(倭国)は百済を支援するために唐・新羅の連合軍と戦ったが、大敗を喫した(白村江の戦い)。危機感を抱いた倭国は連合軍の侵攻に備えるため、最前線である対馬に築かせたのが金田城である。この時、東国から防衛のために集められた兵士たちこそが、教科書でもおなじみの「防人」である。

それから1200年以上の時が経ち、明治時代(日露戦争期)になると、再び国境の要塞として目をつけられ、山頂付近に巨大な砲台(城山砲台)が建設された。

「飛鳥時代の石垣」と「明治近代の軍事遺構」が共存する、珍しい空間となっている。

 

アクセス

公共交通機関でのアクセスは極めて困難で、基本的には車でのアクセスになる。近くの道を通るバスの本数自体が少なく、金田城近辺にはバス停すらない。

車や自転車で向かう場合、厳原からは国道382号線を北上し、鶏知(けち)で県道24号線に入り、そのまま進む。小さいながらも「金田城跡」の標識があるので、そこから細い林道へ入る。林道の先には登山口として、車を数台停められる程度のスペースがある。

なお、林道は車一台がやっと通れるくらいの幅しかない。対向車が来たら狭い山道をバックで戻るしかなく、運転に自信がない人は要注意。意外とチャリで来たのは正解だったのかもしれない。

自転車では厳原から登山口まで1時間半くらいだったと記憶している。

 

県道から登山口までは狭い道を行く

 

登山口から金田城跡へ

登山口とあるが、道自体はよく整備されており険しい道もない。初めのうちは木が生い茂る林道を進んでいく。

しばらく歩くと徐々に視界が開け、海とそこに浮かぶ島々が見えてくる。さらに進むと所々に石が積み重なったものが見え、徐々にそのスケールが大きくなっていき、それらが石垣であることがわかる。重機もない当時、この山にこれだけの量の石を運び、防壁として積み上げるのにどれほどの労力が必要だったのだろうか。わざわざこの場所にこの規模の城壁を築く必要がある状況だったのだろう。国内外の城や遺跡を見るたびに、昔の人の断固たる思いに畏怖の念を抱くのである。

 

しばらく林道を進むと開けた道に出る

 

城跡の石垣 当時の緊迫した空気がうかがえる

 

山頂には明治時代の砲台跡があり、浅茅湾のリアス式海岸の絶景が望めるスポットまでのルートがある。1300年以上前の防人が見たであろう浅茅湾のリアス式海岸の美しさと、明治の重々しいコンクリート遺構が同じ視界に入る、不思議な場所であった。

登山口から頂上までは45分~1時間程度の道のり。途中に休憩所があり、気持ちのよい風を浴びながら昼飯をとった。

  • 登山口~石垣・城壁跡:約30分
  • 石垣・城壁跡~山頂・砲台跡:約20分

 

砲台跡、海を望む

 

金田城への道中では所々海が見える場所がある。車では瞬く間に通り過ぎてしまう景色でも、気になったらすぐに立ち止まれるのが、自転車移動のよいところである。往路の疲れを忘れるほど心地よい海からの風を浴びながら、厳原に戻った。

 

 

厳原を散歩

15時頃に厳原へ戻り、少し休憩した後晩飯まで厳原港周辺を散歩した。

地方の小さな港町という感じで風情がある。夕暮れの中の細い路地、開いているのか閉まっているのかわからない商店、人けがない漁港で穏やかな波に揺られる漁船。都心ではまず見られない風景・町並みにどこか心が穏やかになる気がした。

 

晩飯は港にあるダイケーという回転寿司店に入った。

対馬は穴子が名物のようで、ここでは生の穴子の寿司が食べられる。採れたての新鮮な、産地ならではの贅沢だろう。見た目は鯛や一般的な白身魚と変わらず、味も淡泊なものだった。個人的には焼き・蒸しの方が好みだ。

 

 

明日は対馬観光のハイライトである白嶽登山である。二日連続自転車で山道を超えており、明日はさらに登山もする。寿司を食べてエネルギー補給をして早めに就寝。

まとめ

  • 厳原から登山口までは車で30分。メイン道路から登山口まではとても狭い林道を進む。
  • 登山道は整備されており歩きやすい。

 

アオダイショウ?

itinerary-note.com